何時の間にか当たり前のようにキーケースの中に収まっている鍵。要らないと云ったのに、無理矢理に押し付けられたそれはこういう関係になってから、贈られた柊から忍人への初めてのプレゼントである。
 素っ気無い金属製の鍵は他者を自分の内側へ招き入れることを好まない柊が忍人ならば勝手に踏み入っても良いと思っている証拠のようなもので。
 普段は恥ずかしげも無く饒舌に愛を語るくせに、これを渡す時、柊が何も云わずにただ笑っていたのを忍人は昨日のことのように覚えている。
 口では文句を云ったけれど、本当はずっとやんわりと忍人を拒絶し、自分の心情を隠していた柊がそんな風に自分を認めてくれたことが、好きだと告げられた時よりももっと嬉しかったことも。







   k ey







 バイトや大学の関係で都合が悪い時以外、おおよそ二日か三日に一度の頻度でこの部屋を訪れるのは、忍人の中で何時の間にやら決まり事のようになっている。
 慣れた手付きで鍵を開け、靴を脱ぎ、短い廊下を抜けて、リビングへ向かう。背後で自然とドアが閉まり、オートロックがかかる音がした。リビングに入ってすぐ目の前にあるキッチンの上に片手に下げた買い物袋を置いて、コートを脱いで椅子にかけると、カーテンで外の陽光を閉め切り、代わりに煌々と白熱灯に照らされた部屋を見遣る。自然、溜息が漏れた。

「柊・・・・・・」

 暖房も電気も付けっ放しで、更にはテーブルの上に電源が入ったままのノートパソコン。その周りには山のように資料が積まれている。それらに埋もれるようにして、柊はテーブルに頬を押し付けるようにして寝ていた。今日が〆切明けなのは知っていたが、予想通り、案の定な有様である。
 特別筆が遅いという訳でも無いのにこうした修羅場を迎えることが多いのは、柊という文筆家が〆切ギリギリまで書き始めようとしないのが原因だ。遠くから知らず知らず顔見知りになってしまった担当編集の嘆きが聞こえてきそうで、忍人はまたひとつ、溜息を落とした。
 疲れ切った表情で、まるで糸が切れた人形のように眠る柊を忍人は呆れたように見下ろして、ベッドから毛布を持ってくるとそれを柊の肩にかけてやる。すぐそこにあるベッドに倒れ込む余裕も無かったらしい。どうやら今回は本当に瀬戸際を乗り切ったようだなと柊の寝顔を眺めながら忍人は苦笑いした。
 何時もは忍人を翻弄し揶揄う性質の悪い笑みは幼いとまで表現出来そうな表情に隠れていて、頬にかかる金に近い色の髪は夕陽に透けてきらきらと煌いている。
 こんな風に無防備な顔を見せてくれるようになったのは何時からだろうとふと思う。柊は忍人が幼い頃からずっと何処か他人と距離を置いて付き合っていて、それは忍人も例外では無かった。再会した後も付き合い始めの頃も、柊は忍人に対して一本の線を引いていて、だから忍人も長い間、本当の意味で柊を信じることが出来なかった。
 それなのに、本当に何時からだろう、こんな風にお互いを共有して、全てを預けられるようになったのは。そこまで考えて、ふと瞼の裏に柊の笑みが浮かんだ。
 そうだ、きっとこの部屋の鍵を手渡されたあの日から。柊は忍人を試すようなことをしなくなった。信じられないと忍人を拒むことも。あの日の何故だかとても嬉しそうに笑っていた柊。その真意を解っていながら照れ臭くて素直に有難うとは云えなかった自分。どうしようもなく不器用な自分達を今も結びつけてくれる銀色の鍵。そう遠くない日の出来事だったはずなのに、何時の間にか自分の中で当たり前になってしまっていることに忍人は驚いた。
 思わず小さく笑ってしまう。傍に膝をついて、その見た目よりも柔らかい癖っ毛を優しく梳いてやると、忍人の気配に気付いたのか、柊は微かに吐息を零して、ゆっくりと瞼を持ち上げた。虚ろな寝惚け眼が忍人を見上げる。

「おしひと?」
「ああ。起こしてしまったか。〆切明けなんだろう。まだ、寝ていていい。夕飯が出来たら起こすから」
「はい。・・・・・・おしひと、」
「何だ」
「あいしてます」

 髪を撫でる手をそのままにその瞳に答えると、柊はふっと笑って、その手に頬を摺り寄せた。そして、その手に乾いた唇を押し当てると、擦れた甘い声で囁く。不意打ちをくらって、忍人は目を瞠って、頬を赤く染める。柊は突拍子も無いことを云うのは何時ものことだが、さすがに寝惚けているからと油断していた。
 柊はそれだけ云って満足したのか、ゆるゆると瞳を閉じて、再び寝息を立て始めた。そんな柊を恨めしげに一度睨んで、忍人は聞こえないと知っていて吐き捨てる。

「勝手に云っていろ。・・・・・・お疲れさま、おやすみ」

 そして、額と額をこつんと合わせた。寝入ってしまった柊には聞こえないから云える言葉。切れ長の藍の瞳が優しく緩んで、薄い唇が額に口吻けを落とす。母親が子どもにするようなそれは慈しみに満ちていて、柊は安堵したように穏やかな表情を浮かべた。忍人はその顔にふっと笑って、立ち上がる。
 大きな子どもが目覚める前に、部屋を片付けて、夕食の準備をしなければならない。せっかくだから、柊の好きなものを作ってやろうと忍人は頭の中で献立を立てながら、冷蔵庫を覗き込んだ。










 現代パロディで柊×忍人。柊は物書きで忍人は大学生(法学部かな?) 二人は同じマンションの隣同士に住んでいる設定です。ちなみにこの時、24歳×19歳。忍千.verのパロディ設定と似通ってるけど、ちょっと違う感じ。
 ゲーム軸だと到底出来ないラブラブが書けて幸せ。この二人はここに至るまでの妄想が絶えないので、その内書きたいなあ。