p resent 04







 ピーンポーン。間延びしたチャイムの音が聞こえる。部屋中に響くそれに忍人は目を覚ました。もう大分高くなった陽の光が窓から燦々と差し込む様に寝惚け眼を擦っていた手を止める。
 ハッとして覗き込んだ携帯の時計が示す時刻は11時を少し回ったところだった。8時には起きて、遅くても10時には家を出ようと思っていたのに・・・・・・。
 がくりと項垂れる忍人に追い討ちをかけるように何度もチャイムが鳴り響く。余りのやかましさに忍人はドアの向こうにいる相手が薄々どころか完璧に予測出来てしまった。

「あの二人か・・・・・・」

 忍人は大仰な溜息を吐いた。自分の身体に巻きつく柊の腕を外し、肩を揺する。だが、それくらいで起きるような柊だったら忍人は毎回苦労はしていないのだ。柊はんん、と吐息を零して、再び忍人の腰へ腕を回してくる。それを払い落として、柊の寝顔を諦念に満ちた眼差しで見た。
 その間にもチャイムは延々と鳴っている。近所迷惑だろう!と叫びたくなるのを堪えて、忍人は起き上がった。柊を目覚めさせるより先に、あの兄弟子を止めなくては。
 リビングを横切って、インターフォンのパネルを操作すると、ディスプレイに予想と違わぬ姿が映し出された。羽張彦と風早だ。
 音声を聞くのも馬鹿馬鹿しくなって、忍人は玄関まで行って、ドアのロックを外した。重たいドアを押した先には悩みの無さそうな突き抜けた笑顔の羽張彦と柔和な表情の風早が立っている。

「おう、忍人か。土産持って来たぞー。お前ら相変わらず仲良いのな・・・・・・って、お前・・・・・・」
「お早う御座います、忍人・・・・・・本当に、仲が良いようですね二人とも」
「何だ?」

 羽張彦は片手に持った紙袋を忍人に見えるように掲げて、それから忍人を丸く見開いた瞳でまじまじと眺めた。ぽんぽんと飛び出ていた言葉が急に途切れる。風早もまた何時もの笑みで挨拶をしたかと思うと、微かに琥珀色の目を瞠って忍人を見た。
 二人の反応に忍人は疑問符を浮かべて、自分の身体を確かめる。

「ひ、柊・・・・・・。お前、あれほど止めろと云っただろう!」

 現状を認めた忍人は玄関先に羽張彦と風早を放置して、くるりと踵を返して部屋に駆け込んだ。その後姿を見送りながら、風早と羽張彦は顔を見合わせて笑った。
 忍人の寝乱れて少し肌蹴たパジャマから覗く首筋や鎖骨に残る赤い痕。目立つところに幾つも付けられたそれは昨晩、忍人が柊に散々愛された証だった。シャツのボタンをふたつ開けたら丸見えで、Tシャツからも確実に解る位置。忍人は憤りのままに未だすやすやと眠る柊を文字通り叩き起こした。

「忍人・・・・・・?」
「柊! お前、散々目立つところには付けないと約束しただろう! 何だ、これは!!」

 まだ覚醒し切れていないぼんやりとした目で忍人を見つめ、柊は首を傾げる。忍人はそんな柊を見て、余計に眉間の皺を深めて、怒鳴り声を上げた。
 確かに昨日はお互いに我を忘れるくらい求め合った。最後には気を失ってしまうくらいに。だが、だからといって、約束を破っていいなんて一言も云っていない。
 柊は忍人の大きな声にようやく意識がはっきりしてきたらしく、身体を起こして、忍人の首筋から胸元を見遣った。白い肌にはくっきりと鬱血が浮いている。

「忍人が悪いんですよ。君があんな風に煽るから。それにまだ冬ですから、服に困るということも無いでしょう?」
「うっ・・・・・・」

 柊は昨夜の忍人の痴態を思い浮かべて、うっとりと微笑んだ。忍人から求めてきてくれたことは柊にとっては予想外の出来事で、嬉しすぎてつい欲望の箍が外れてしまった。まだ寒いので、襟刳りの広い服は着ないだろうということもあって、何時もは残さない場所にまで、吸い付いてしまった。
 元々、柊は痕をつけるのが好きだ。一度、好き放題にやらかしてしまって以来、見えるところには付けるなとお達しが出て、我慢していたが、本当ならば忍人の身体の隅々まで口吻けたいと思っている。
 柊の言葉に忍人は一瞬カッと頬を赤らめた。最中は夢中になってしまうから気にならないが、改めて思い起こすと恥ずかしくて堪らなくなる。しかし、柊の開き直った様子を受け入れられる訳も無く、忍人は熱を冷ますように火照る顔を振って、柊を睨み付けた。

「もういい! 開き直るなら、今後二度とお前の部屋には泊まらない!」
「え、ちょっと忍人?」
「プレゼントも今日出掛ける話も無しだ。この鍵も返す」

 憮然とした表情で宣言する忍人に柊は慌てたように忍人の顔色を窺う。それまで自信たっぷり挑発していた人は何処へやら、急に狼狽え始めた柊に忍人は追い討ちをかけるように言葉を連ねる。そして、鞄の中からキーケースを取り出すと、その中のひとつを外して、柊の目の前に突き出した。
 それは二人にとって、別れるという明確な意志表示。平謝りして許しを請う柊を忍人は冷やかな目線で見据えた。抑揚の無い声が更に柊を追い詰める。

「すみません忍人、調子に乗りました」
「もう二度としないと誓えるか?」
「誓います。誓いますから・・・・・・、」

 柊が縋るように忍人を見上げると、忍人はそれなら、と鍵をキーケースへ戻した。忍人の手の中で銀色の鍵が鈍く光る。二人の間を繋ぐものといっても過言ではないそれ。大切な、二人の絆。
 柊は眼差しを緩めた忍人にほっと胸を撫で下ろしつつ、仕舞われていく鍵と忍人の顔を交互に見た。忍人は反省したならいいと今までの怒りが嘘のようにさっぱりとした表情をしている。
 それに柊は性質の悪い冗談を云う、と内心苦笑した。忍人が本気でないことなど最初から解っていたけれど、やはり別れ話は心臓に悪いものだ。だが、そんなことが出来るようになったのも、一緒にいることが当たり前になったからなのだと柊は改めて感じた。別れ話を切り出せるのは、本当に別れるとは云われないと解っているから。
 きっと柊があそこで別れると告げたなら、忍人は随分と狼狽えていたことだろう。その表情を想像して、柊は少し云ってみれば良かったかも知れないと思った。尤も、柊は別れる気はさらさら無いから、その後で嘘だと云って、忍人が今度こそ怒り狂う様が目に浮かぶので、試しはしないけれど。

「また泊まりに来てくれますよね?」
「しょうがない。・・・・・・お前が望むなら」
「勿論。来て欲しいです」

 小首を傾げて甘えるように問いかけると、ぶっきらぼうな返事。最後に付け加えられた一言に柊はにっこりと笑んで、即答した。忍人は少し恥ずかしそうに頬を染めている。
 そのまま、二人だけの世界に突入していきそうな様子に玄関に放置され、忍人を追って部屋へ上がっていた羽張彦が思わず突っ込んだ。

「おーい、お前ら二人の世界に浸るのは良いけどよ。俺たちがいるって忘れてないよな?」

 目の前で惚気を見せられるだけならまだしもそれ以上に及びそうな二人のピンク色の雰囲気。というか、二人とも羽張彦と風早のことなどすっかり忘れていそうである。
 実際、忍人は忘れていたらしく、リビングの入り口に立つ二人に目を丸くして、あ、と今気付いたとでも云いたげな顔をした。
 柊のほうは知っていて気付かないふりをしていたようだ。せっかくの甘い空気を邪魔するなと羽張彦のほうをあからさまに恨めしげな目で見つめてくる。

「お前、せっかく誕生日だからって祝いに来てやった親友にそれは無いんじゃね?」
「来るなら連絡くらいしてください」
「いや、メールも電話もちゃんとしたから! 出ないから、まあお前のことだしまだ寝てんだろうなーと思って来てみたら」

 こういうことかよ・・・・・・。羽張彦は呆れたような溜息を落として、ぐしゃぐしゃになったシーツと忍人の乱れたパジャマから覗く情事の痕を交互に見た。
 隣で風早がのほほんと笑っている。風早としてはまあ予想の範囲内ではあったので、特に驚くほどのことでもない。二人が付き合っていること自体はとうの昔に周知の事実と化している。

「け、結局。羽張彦達は何をしに来たんだ?」
「柊の誕生日があるって昨日思い出してね。どうせ本人は忘れてるだろうから驚かせてやろうって話になったんですよ」
「そうそう。昔みたいにパーティーやりたくなってさ。ケーキもつまみも酒も全部持ってきたから。今日は一日騒ごうぜ!」

 羽張彦の視線にぎゅっとパジャマの前を掻き合わせ乱れを整えながら、忍人はなるべく冷静を装って問いかけた。未だショックを受けている羽張彦を置いて、風早が説明をする。
 柊をちらりと見る風早に柊は苦笑した。風早の予想通り、昨晩忍人に告げられるまで誕生日なんて忘却の彼方だったのだ。
 立ち直りの早い羽張彦が風早の後を次いで、手に持ったスーパーの袋と白いケーキ屋の紙袋を掲げる。半透明の袋からはビールやチューハイのカラフルな缶が覗いていた。

「冷蔵庫に仕舞ってくるからお前ら着替えとけよー」
「ついでにちょっとキッチン、借りますね」

 柊も忍人も別にやると云ってはいないのだが、張り切ってスーパーの袋を揺らしながらキッチンへ向かう羽張彦を止められる人間などこの場には存在しなかった。風早もまた手に提げた袋を持って、つまみでも作る為だろう、羽張彦を追いかけてキッチンへと消えていく。
 開き直った二人(主に羽張彦)の強引さに引き摺られ、呆然と見送った柊と忍人は何となく顔を見合わせて、目を瞬かせる。数秒の差で先に我に帰ったのは柊の方だった。

「ねえ忍人」
「何だ」
「昨日の約束、覚えてます?」
「ああ。二人で出掛けるという話だろう。ちゃんと覚えている」
「・・・・・・確実にお流れですよね、これ」
「しょうがないだろう。残念だが、今日はお預けだ。また来週にでも行けばいいじゃないか。時間は空けておくから」
「せっかくの誕生日だったのに・・・・・・」

 心の底から残念そうな顔をして落ち込む柊に忍人は少し可哀想になった。昨夜、嬉しそうに微笑んだ柊の表情が脳裏を過ぎる。忍人としても、久しぶりに二人で過ごす休日が嬉しくないはずも無かった。柊が何処へ連れて行ってくれるつもりだったのかは知らないが、きっと忍人が退屈しないようにと選んだ場所なのだろう。
 肩を落として嘆く柊を何とか励まそうと考えて、忍人は手許にある鞄を開けた。中には財布や携帯電話、キーケースにペンケース、読みかけの論文のコピー、そして。
 萌黄色の無地の包装紙に深緑のリボンで飾られた包み。それを手にとって、ふと忍人は店員に赤やピンクのリボンを勧められ、急に恥ずかしくなって拒んだことを思い出す。
 恋人への誕生日プレゼント。そんなものを贈ったことなんて、恋愛初心者の忍人には一度も無くて。プレゼントひとつ選ぶのに、デパートの売り場を転々としたのだ。柊と自分では好みは正反対だから、柊が喜んでくれるかは解らないけれど。

「柊・・・・・・、その、プレゼント、だ。今日はこれで我慢しろ」

 渡す段階になって急に怖くなって、恐る恐る忍人は包みを差し出した。返ってこない反応に柊の顔色を窺うと、柊は一瞬、呆けたような顔をして、ぎゅうっと包みごと忍人を抱き締めてきた。
 力任せに腕の中に閉じ込められて、忍人は肩に顔を押し付けられ、息が出来なくなる。いきなり何をするんだと抗議しようと拳を振り上げたところで、耳元に落とされた甘い囁きに忍人は脱力した。

「有難う、忍人。大切にします」

 ただでさえ忍人は柊の声に弱いのに。耳朶に息がかかるくらいの距離で云われたら、もう忍人は堕ちるしかない。どきどきと高鳴る鼓動に気付かれたくなくて、でも視界の端にちらちらと覗く柊の微笑みにとっくの昔に知られていたことを悟って。
 呼吸を確保する為に僅かに身動ぎをして、ぐしゃぐしゃにならないように包みを抱え直すと、忍人は開き直ってすっぽりと柊の腕に収まる格好を取った。そのまま、柊の肩に頬を寄せて、真っ赤に染まった顔を隠そうと俯く。恥ずかしい、なのに嬉しい。すぐ傍にキッチンに風早と羽張彦がいることも忘れて、忍人は抵抗もせずに柊の腕に身体を預けた。
 力の抜けた身体を堪能するように抱き締めると、ぼそりと柊に届くか届かないかの小さな忍人の呟きが聞こえた。それに柊はまた破顔する。

「誕生日、おめでとう」










 せっかくの誕生日なので羽張彦と風早を出したかったんだけど、色々とぐだぐだになった感が・・・。まあ01だけで終わる話を長々と続けちゃったからなんですが。
 プレゼントの中身は考え付かなかったので、適当に誤魔化し(汗)柊に忍人さんが贈るものって何なんだろう?
 壊れると解ってたら、別れ話なんて持ち出せないよね。確かめたいと思っても、そこでじゃあ別れようって云われたらおしまいだから。特にプライド高い忍人さんは引っ込みがつかなくなっちゃうし。この辺の出来上がる前の柊忍も書きたいなあ・・・。