その夜の柊は何処かおかしかった。皆が寝静まる夜更けに近い時間帯に忍人の部屋を訪れたこともそうならば、扉の向こうの顔が何か思い詰めたような、陰鬱な表情だったこともそうで、更には普段は何枚あるのか数えてみたくなるほどよく回る舌を動かすこともなく、言葉少なに忍人の身体を求めたこともそうだった。
 余りに柊らしくない沈んだ様子に忍人は咄嗟に抵抗出来ず、されるがままに両腕を壁に押し付けられる。一拍遅れて、精一杯の抵抗として立ちはだかる身体を蹴り上げようと足を動かしたが、それまでも逆手に取られ、足の間に身体を捩込まれた。
 手首を骨が軋むほど強く握られ、唇を塞がれる。視界一杯に映り込む柊の顔。伏せられた瞼は泣いた後のように腫れていて、目の下には薄く隈が浮いていた。青褪めて見るからに悪そうな顔色に忍人は心の中で密かに溜息を吐く。四肢に込めた力を抜いて、ゆっくりと目を閉じるとまるで狙ったかのように口吻けが深くなった。
 唇を割ってするりと舌が入り込み、歯列をなぞり、奥で縮こまった忍人の舌を引きずり出して擦り合わせる。情熱的なというよりは投げやりな雰囲気を漂わす接吻。息継ぎが出来ないほど激しいそれは決して大きくはない忍人の許容量を容易く越えている。それでも、抵抗はしなかった。
 柊がこうして乱暴に行為を強いてくる時に自分に何を求めているのか、忍人は知っている。そしてそれに自分が逆らえないことも、知っている。

「っふ、は・・・・・・」
「忍人、」

 酸欠で意識がぼんやりし出した頃、ようやく解放され、反射的に胸一杯に息を吸う。深呼吸を繰り返す忍人を見つめ、柊は濡れた唇で縋るように名前を呼んだ。

「眠らせて、くださいませんか」

 忍人の夜色の瞳を上から覗き込んで、問う。望まれるままに身体を許すと決めたものの、素直に頷くには羞恥が勝って、返事代わりに綺麗な硝子玉のような瑠璃色の瞳を見返す。
 誰にも云ったことは無いけれど、忍人は柊の目が嫌いだった。口では好き勝手に他人を煙に巻いて翻弄するような科白ばかり吐く癖に、その瞳は湖のように澄んでいて、その言葉が偽りでは無いことを相手に知らしめるのだ。だから忍人は口では攻撃していても、最終的にギリギリの部分で柊を拒むことが出来ない。
 今もまた、そうだった。柊の目には、人にまじないをかける何かが宿っているのではないかと非現実的なことまで考えてしまう。

「いいんですね? 忍人」

 どうしても忍人の意思を確かめたいらしい柊はさっきの視線で云いたいことは悟っただろうに、もう一度口を開いた。身体を屈めて、忍人の肩口に額を押し付ける。柊の癖のある柔らかい髪が首筋に触れてくすぐったい。囁くような低い声を耳朶に注がれて、忍人は自棄になって、ぶっきらぼうに云い放った。

「それくらい、察しろ」
「ふふ、そうですね。今では、私よりも忍人のほうが強いですからね」

 くすくすと声を上げて、柊は笑った。自虐的にも聞こえるそれに忍人は不機嫌そうに眉を顰める。
 柊はそんな忍人に気付かないまま、行為を続行させる。衣服から覗く白い肌に唇を寄せ、忍人の手首を掴んでいた手を外して、衣の内側へと滑らせる。冷えた指先が素肌を撫でるのに、忍人はぶるりと身体を震わせた。
 柊の顔が上がり、忍人の藍色の瞳を覗き込む。表情は何時もの気取った嫌味っぽい笑い方なのに、瞳に光が無い所為で覇気の無いそれを見せ付けられ、忍人は目を閉じた。
 耳元で囁かれる擦れた特徴のある声。鼓膜を甘く震わせるそれに弱いのは昔から。これからの行為を予測させる言葉に忍人は諦めたように返した。

「・・・・・・好きに、すればいい」

 投げ遣りなのは、お互い様かも知れない。







    いた星の向こう







 忍人は柊が嫌いだった。それは裏切り者だからという理由だけではなく、もっと根本的な問題として、性根が合わなかったと云ったほうが正しいと忍人は思っている。昔から柊は食えない男だったし、揶揄うような言葉も散々投げかけられたから、そういう意味でも苦手だったが、何よりも全てを諦めたかのような瞳が、忍人は嫌いだった。
 それなのに、どうして憎めないのかと云われると、これまたあの瞳の所為だと云うしか無い。あの瞳に浮かぶ微かな光が忍人を瑠璃色へと惹き付ける。

「ん、ぁあ、ひ、いらぎ・・・!」

 壁に押し付けられ、立ったまま、無理な体勢で交わった後、寝台へと移動しても柊の執拗な愛撫は止まなかった。
 こんな風に身体を繋げるようになって何度目だろう。最初は抵抗したものの、あの瞳に魅入られてしまっては金縛りにあったかのように好き勝手にされてしまうのだからどうしようもない。
 時折、ふらっとやってきては身体を重ねたがる柊の心境を忍人は知らない。柊がその片目で何を見ているのか、何を見てきたのか、それを知る術は忍人には無いし、知りたいとも思わない。知ったとしてどうなるとも思わないし、それで忍人が柊を許したり好きになったりするかといえば、そんなことがあるはずもないのだから。
 そもそも初めて褥を共にしたのは、別に最近のことではない。中つ国が倒れる前、橿原宮がまだ機能していた頃。 羽張彦と一ノ姫と共に消えたかと思われた柊が突然忍人の前に現れたあの日。死んだような瞳をした柊に縋りつかれ、拒めなかった。思えば、あの頃から柊に流されていることになるのだと思うと、忍人は自分を嘲笑したくなった。

「何を、考えているのです?」
「・・・・・・な、にも」

 下肢に顔を埋めていた柊に唐突に訊ねられ、返答に詰まる。咽喉から押し出した声は擦れて自分の声では無いように聞こえた。柊は忍人の答えに満足したのか、再び顔を伏せる。
 敏感な太腿の内側を舐め上げられ、その上にある直接的な快感に焦がれて、ゆっくりと期待に感情が高ぶっていく。身体が熱くて、発火しそうだ。
 抑えているのに嬌声は唇の端から駄々漏れで、塞ごうにも手は不安定な身体を支える為に敷布を掴んでいて使えない。悔しげに忍人は唇を噛んで、声を押し止めた。
 気付いた柊がきつく歯を立てた赤い唇に白い指先で触れる。唇をゆるゆると撫でられ、意図するところを悟って、軽く口を開くと柊は人差し指と中指を差し入れ、濡れた咥内で遊ばせた。どうやら声を噛み殺すことは許されないらしい。喉咽の奥に蟠った湿った声が柊が愛撫を加える度に、合わせるように唇から出ていく。
 意味を持たない声が部屋に響くのに、外に聞こえたら不味いのではないかとずっと思っていたことが再び頭を過ぎる。だが、柊のことだからきっと、声が漏れないように結界でも張っているに違いないとも思った。そういうところは器用な男なのだ、柊は。

「ぅん・・・・・・あ、ぁっ」
「忍人、」

 耳元で囁かれる甘い声に肩が小刻みに揺れる。眦を指先で辿られて、ぎゅっと瞑った瞼を持ち上げると切なげに顔を歪めた柊が見えた。片方しかない瑠璃色の瞳が薄く膜を張っている。涙に滲んだ硝子玉のようなそれは、深みを増して、今にも零れ落ちそうだ。
 何かきっかけがあればすぐに関を切って溢れそうな滴は抑え切れない柊の激情のようだった。
 だが、細い指先が火照った肌に触れる度、霧散しそうになる意識を掻き集めている忍人には感情を湛えた瞳が何を云いたいのか、察することが出来ない。
 霞む目を凝らして、柊を見つめる。絡み合う視線は明確な何かを忍人に伝えることは無かったが、忍人の中でひとつの感情が沸き上がる機会にはなった。

「忍人?」
「んっ・・・・・・ひいらぎ」

 腕を伸ばし、柊の首に回して頭を引き寄せる。猫のような髪の毛が白い肌を擽って、思わず肩を竦めた。鋭敏になった神経は些細な刺激を強烈なものに変換する。
 互いの吐息がかかるくらい至近距離で、瞳を覗き込む。そして、ふっと妖しく笑うと、ゆっくりと儀式めいた仕草で潤んだ隻眼に口吻けた。咄嗟に伏せられた瞼に柔らかい唇を押し当て、目尻を舌先で舐める。まるで、慈しむかのような行動に柊は静かに吐息を漏らした。

「柊」

 忍人は何も云わない。泣くなとも泣けば良いとも云わない。代わりにただ、名前を呼んだ。
 忍人が吐き出す息が柊の睫毛を揺らす。ほろりと眦から涙が零れ落ちた。それを唇で受け止め、吸い取った忍人は満足げに目許を緩ませる。柊が忍人を求める理由を忍人はきっと柊よりもよく知っていた。
 こんな風に抱き合って、夢と現実の狭間が解らなくなるほどに快感に溺れて、そうしなければ感情を曝け出せないこの男のどうしようもなく不器用な部分が忍人は嫌いではない。
 両の腕で柊の頭を抱き締めるように抱える忍人に柊は黙って従った。何をするでもなく、忍人の他愛ない子どもの戯れのような愛撫を楽しむ。
 忍人の唇はこんな時でも外さない柊の黒い眼帯の上を通って、額に口吻け、耳朶をなぞり、輪郭を辿る。幼子をあやすような、けれどそれにしては性的な色味を帯びたそれは、最後に柊の唇に触れて終わった。触れるだけの接吻では物足りない柊がそれ以上を求めると忍人はしどけなく唇を開いて、受け入れる。

「んぅ・・・っは」

 散々口内を舐め回し、舌を絡められ、息が出来ないと抗議しようとしたところでようやく唇を離された。いきなり肺に酸素が送り込まれて、慌ただしく呼吸を整える。
 その間に柊は忍人から身体を離すと、その細い腰を抱え上げて、ぐっと突き入れた。一度犯されて慣れたそこは徐々に押し入ってくるそれを何の抵抗も無く、飲み込んでいく。一度、注ぎ込まれた白濁が繋がった箇所から流れ落ち、白い太腿を伝う。圧し掛かってくる柊に忍人は反射的に脚を絡めて、縋りついた。

「っぅ・・・」
「全く君には敵いませんね」
「え?・・・・・・ あ、あぁ!」

 切羽詰ったように眉を寄せた顔に苦いそれを滲ませて、柊は笑った。忍人がその表情の意味を解する前に挿入の衝撃に打ち震える肢体を更に追い込むように奥を突く。
 何も悟らせたくないとでも云いたげに柊は腰を動かした。ぎりぎりまで引き抜かれ、また勢いよく押し入られる。激しい律動に忍人は翻弄され、ただ意味の無い嬌声を発した。
 快感に蕩けた表情は普段の忍人からは想像も付かないくらい艶っぽい。狭い中を熱いそれで擦られるごとに僅かに残った理性や冷静な思考があっさりと悦楽に混ざって消えていく。何も考えられなくなって頭の中で白い光が明滅する。
 揺すられる身体を支えようと柊の肩に手を伸ばすと、柊は微かに笑って、身体を近付けた。肩に手をかけ、首に腕を絡め、ぎゅっと抱きつく。

「あぅ、んあっ、んん・・・・・・っ」

 なりふり構わず、柊の癖のある髪に指を差し入れると肌と肌を密着させる。互いの滾った内側の熱が溶け合って混ざって境目が解らなくなる。二人一緒に高まっていく。
 ぼんやりと霞んだ目で柊を見つめれば、頬に滴が流れていた。涙とも汗とも解らないそれを忍人は懸命に舌を伸ばして舐め取る。塩辛い味はやはり涙とも汗とも判じ得ない。
 それでも忍人には何故かそれが涙なのだと思えて仕方が無かった。正常な思考が失われた中でぼやけた視界に映った瑠璃色は例えようもなく美しい。
 忍人の行為に煽られたように繋がりを深くする柊に忍人はひたすら声を上げて、柊の名前を呼ぶ。ふいに前を触られて、一気に絶頂へと追い上げられる。

「あ、あ、あっ、ひ、いらぎ、柊・・・・・・!」
「忍人っ・・・・・・!」

 潤んだ目で柊の顔を見つめたまま、忍人は達した。膨らんだ欲が頭の中を埋め尽くして、吐き出す度に背筋が痺れるような感覚がする。やや遅れて、締め付けに耐えかねるように柊も忍人の中で弾けた。奥深くへ注がれる熱に忍人の身体が小刻みに震え、それからゆっくりと弛緩していく。
 遠くなっていく意識の中で忍人は柊の黒い布に覆われた片目から伝う何かを見た気がして、ふっと口許を綻ばせると柊を抱き寄せたまま、満たされたように瞼を閉じた。










 眼帯の上からキスと瞳にキスが書きたかった。柊の色っぽさはあの眼帯と見せない肌にあると思ってる。後、投げ遣りな忍人さん萌え。忍人さんは何も知らないながらに、柊の後ろ向きというか絶望しちゃってるところが嫌いで、でも柊の未来を諦めきれない往生際の悪さが好きだと良いです。だから拒めない。それにしても、エロが温いなほんと・・・・・・。