※ 八章星空イベントで破魂刀のことを深く追求しないBADEDの後の話です。千尋がかなり後ろ向きで弱気。
   バッドエンド、悲恋、死ネタ注意。以上が大丈夫な方はスクロールしてください。
































 臆病だった私。嫌われたくなくて、不安から目を逸らして、ただ甘えていた私。あの人の優しさに溺れて、幸せで嬉しくて。きっと、初めての恋に浮かれていた。知らないふりは楽だった。向き合うことが怖かった。ずっと優しい嘘に騙されていられるなら、それで良かった。その微笑みの裏にあるものに私は気付いていたはずなのに。
 私は逃げることしか出来ない無力でひ弱な少女でしか無くて。あの人のような強い人間には到底なれず、あの人の望む王にも程遠い。

 あの時の私は、ただの恋に恋する少女でした。







    れた少女の行方







 極普通の女子高生として日々を過ごしていた頃、私にとって恋は憧れだった。友達の恋愛相談を受ける度、こんなにも人を愛せるということはどんな風なのだろうと夢想した。
 恋愛対象として人を好きになるというのは、那岐や風早に感じる愛情とは違うものなんだろうかと考え込んだこともある。私には遠い未知の世界。そんな時、何時か私にもそんな存在が現れて、その人の為に全てを捧げられるくらいに恋する日が来ればいいとそう私は願っていた。

 だから恋の甘さを知った時、私は浮かれて、舞い上がってしまったのだ。






 知っていた。彼が嘘を吐く時に何時もより優しくなるということ。
 解っていた。そういう笑い方をする時にその表情には何かが隠されているということ。
 きっと誰よりも私は彼を見ていた。何も無くても、視線が彼を追いかけた。好きな人をついつい見てしまうというのは、ありがちな行動だと思う。彼の照れた時の仕草、困ったような微笑み、叱る時の癖、些細な行動のひとつひとつを垣間見る度に胸が高鳴って、自然と笑みが浮かぶ。好きだった。彼のことが、誰よりも。
 だから、本当は何もかも気付いていた。柔らかく笑って、もう大丈夫だという彼が何か秘密にしていること。私を誤魔化そうとしていること。
 追求、するつもりだった。何故、何で、どうして。疑問は数え切れないほどあって、聞きたいこともたくさんあった。確かめたいことも。
 なのに。私は、聞けなかった。怖かった。真実を知ることが、彼を問い詰めて嫌われることが、その全てが。
 彼が大丈夫だというのなら大丈夫なのだと自分で自分に云い聞かせて、消えない不安感を上から塗り潰した。どんなに姿が見えなくても、それはそこに在り続けるというのに。大切なことから目を逸らして、意識の片隅へ追いやって、彼が与えてくれる優しい嘘に溺れて、私は幸せだった。
 差し出された手に自分の手を重ねて、星空の下、二人で語り合ったあの夜のことを私は忘れられない。指先に絡む温もりが愛しくて、まるで夢のような時間。
 何か決意をしたように前を見る彼の眼差しの意味を知ろうともしないで、私はただその横顔の綺麗さに見蕩れていた。物憂げに伏せられる瞼の向こうに何があるのか、あの時私は、気付けたはずなのに。それよりも目の前の仮初めの幸福に夢中で目が眩んでいた。






 だからこれはきっと報いだ。臆病でずっと何も見ようとしなかった愚かな私。彼の奥深くを覗く勇気も、全てを受け止める覚悟も私には無かった。
 ぬるま湯のような幸せに浸かっているのはとても簡単で。囁くような呪詛の声に耳を塞いで、嫌なことに目を瞑ったままでいることも酷く楽な行為だった。
 不安に思う度、彼は絶え間なく私に優しい嘘を降り注いでくれた。千尋と名前を呼んで、柔らかく笑ってくれた。手を触れ合わせたら、何も云わずに握り締めてくれた。彼の体温を感じて、その微笑みを見ると、私はまた開きかけた目を瞑ることが出来た。
 戦いの合い間の甘い日々。桜を見る約束をして、橿原宮を奪還して、禍日神を倒して。全ては順調に進んでいった。彼もまた変わらずに私の隣に居てくれた。そして、再び常世から橿原へ戻ってきた時のこと。






 私は浮かれていた。橿原宮へ戻ってきて、戦勝の宴が開かれて、その雰囲気に酔っていた。全てが終わったのだとそう感じることが出来て。好き勝手に騒いだ後、私は熱を冷ましに外へ出た。月が綺麗な夜で空を眺めている内に私はついふらふらと宮の外まで出てしまっていた。
 それを見咎めたのが彼だった。何時ものように軽率だと怒られて、でももう荒魂も出ないし、と言い訳をしたところで、その荒魂に遭遇した。何でもない相手のはずだった。彼にとっても私にとっても。天鹿児弓を呼び寄せて、辺りを囲む四体の内、二体を浄化して、そして気付いた。
 目の前の一体を片付けた彼の荒い呼吸、額を流れる汗、青褪めた顔色。咄嗟にまたあの時のように倒れてしまうと思った。一瞬で意識が彼に集中した。
 ずっと心の奥に潜んでいた恐怖が呼び覚まされて、動けなくなる。足が根を張ったように地面に張り付いた。怖い、恐い、こわい。漠然とした不安感に胸が圧迫されて苦しい。視界が真っ暗になったと思ったら、自分で目を閉じただけだった。現実を直視したくなくて、自分が目を背けたものを突きつけられるのが恐ろしくて。私は、逃げた。

 あの雨の日のように、私は固まった。あの星の夜のように、私は目を瞑った。何も変わらない、変われない。私は何時もただ守られるばかり。この手に、弓はあるのに。

 荒魂が襲い掛かってくる気配。それなのに私の身体はびくともしない。すぐ傍で荒魂の叫ぶ声がして、それに被さるように、彼の声が聞こえた。千尋と名前を呼ぶ、焦って切羽詰ったそれは私の耳に痛いほど響いた。同時に荒魂の絶叫が空気を切り裂く。
 何が起こったのか、解らなかった。ぎゅっときつく目を瞑っていたのだから、当然だ。恐る恐る開いた瞳に映った世界に私は声を上げることも出来なかった。
 咄嗟に倒れ込む彼の身体を受け止めようと手を伸ばす。彼の体重を私の腕では支え切れず、耐えかねるように座り込んだ。私の身体に凭れかかる彼の藍色の衣に滲む鮮やかな紅。その色に私の頭は真っ白になる。彼が私を庇って傷を負ったことは明らかで。そして、私を守る為に破魂刀を使ってしまったこともすぐに解った。
 理解してしまったから、頭がそれに追いつけずに混乱した。解らない、知らない、こんなこと。そうこれはきっと夢に違いない。彼が倒れたあの日からずっと夜毎繰り返される悪夢。眠るように息を引き取る彼を呆然と看取る私。そんな夢を数え切れないほど見た。冷たい身体を何度も抱き締めて泣いた。だからこれは夢。そうきっと。
 でも、どんなに言い聞かせても、私はもう、目を瞑っていることは出来なかった。見開いたままで渇いた瞳を瞬かせて、腕の中の彼をじっと見つめる。
 彼の表情はいっそ穏やかだった。私の好きな柔らかい笑みを浮かべて、血の気の失せた唇でちひろ、と私の名前を呼ぶ。その声の響きの優しさといったら。
 彼の手がゆっくりと持ち上げられて、私に触れようと指先が伸ばされる。けれどそれは、途中で力を失って、ぱたりと落ちた。その手を必死に握り締め、頬を摺り寄せる。縋るように掴んだ手は温かかった。涙が頬を伝って、彼の手を濡らす。ぼやけた視界に映る彼はもう一度私に向かって優しく微笑んで、唇を動かした。
 すまないと詫びられた気がした。ありがとうと感謝された気がした。愛していると囁かれた気もした。声にならない声で紡がれたそれが本当はどれを意味したのか私には知る由も無い。もしかしたら、彼が何事かを云った、それさえも私の幻覚かも知れない。だけど、私はそう云われたように思えて。どうしようもないほどに胸が締め付けられて、痛かった。
 彼の目が閉じる。藍色の瞳が白い瞼に覆い隠されていく。最後の最後まで、彼は笑っていて。それなのに、もう二度と彼は私の名前を呼んではくれない。握り締めた手のひらが少しずつ温もりを失って、冷たくなる。私の手がどんなに彼の手を擦っても、もう彼の手は私に体温を分け与えてくれることは無い。
 そう思った瞬間、心を覆った黒い靄が絶望なのか後悔なのか悲しみなのか、私には区別がつかなかった。ただ、痛くて。私は呆然と彼を見つめることしか出来ない。
 もう、全ては遅いのに。今更、現実を受け止めても、何も変わりやしないのに。ぼろぼろと頬を伝う涙。でも私にはきっと泣く権利さえ無い。
 彼の笑顔が滲んで見えなくなる。どうして、彼はこんな私を守ったんだろう。そんな考えさえも浮かんで。だってこんな私に彼が剣を捧げるだけの価値があるはずない。
 ただ、臆病で。怖がりで無力で、口ばかりは達者でそれなのに自分で自分の身ひとつ守れない。ああ、本当に、最低だ、私。






 だからこれはきっと報い。彼を大切に想うことよりも、自分が傷付くことを恐れた私への。










 千尋ってもっと強い子だと思うんだけど、あのBADEDの後の二人を想像するとこんなのしか出てこなかった・・・。あのBADが一番悲惨だと思うんですよ。忍人さんの優しい嘘に騙されたふりをして、破魂刀のことを見て見ぬふりをする千尋。本当に大切なら云わなきゃいけないことなのに踏み込めなくて口を噤んでしまう。だから、一番酷い形で千尋は忍人さんを失うんじゃないかって考えて、一番酷い形を浮かべたら、やっぱり自分が原因で失くすことかな、と思ったのです。思った以上に千尋が弱くなっちゃったけど。