その日はとても綺麗に晴れた日だった。ゆっくりと階段を上る彼女の頭上にはまるで新しい国の門出を祝福しているみたいに広がる優しい水色の空。まだまだ幼くて未熟な、けれど凛と強い彼女を見守るように降り注ぐ暖かな春の陽射しは彼女の金色の髪を一層美しく見せて。
 全てが上手にあつらえられたかのような、そんな日和に龍神に愛されし神子、中つ国の二ノ姫は、ついに王となる。







    女の決意







 胸が高鳴っていた。どくんどくんと心臓がうるさい。別に特別上がり症な訳では無いはずなのに、さすがにこれだけ大きな式典だと緊張してしまうものらしい。
 階段の最後の一段を上る時に思わず裾を踏んで転んでしまいそうになり、彼の前で気をつけると云ったばかりなのにと自分の迂闊さに苦笑いした。一瞬、ゆらりと揺らめいてしまったところを彼は見ただろうか。何度も何度も練習をして挑んだのに、失敗しそうになった自分を彼はどんな顔で見ていただろう。
 きっと眉間に皺を寄せて、溜息を吐いているんだろうな、とそこまで考えて、千尋はくすりと周りに気付かれないよう、小さく笑った。
 転ぶことを恐れて、足許ばかり見ていた視線を持ち上げて、伏せた顔を上げる。広場に集まった大勢の人が千尋の顔を仰ぎ見て、歓びの声を発した。澄み渡った青い空、遠く見える農村、緑溢れる景色、そして目の前で笑う人々。今までの緊張が嘘みたいに、千尋の心は凪いでいく。
 ひとつ、深呼吸。同時に改めて浮かぶ決意を千尋はぎゅっと握り締める。最初は、解らなかった。自分が何をすればいいのかも、何をしたいのかも。だけど、今なら解る。ちゃんとこの手の中にある。一度掴んだそれを千尋はもう二度と手放さない。どんなに悩んでも苦しんでも、自分でそう決めたのだから。



 狭井君が開会の言葉を述べる。それを聞きながら、千尋は視線を泳がせた。たくさんの人の中には見知った顔が幾つもある。風早、那岐、サザキにカリガネ、遠夜、布都彦、柊、道臣さん、夕霧、足往・・・・・・。ずっと一緒にいた大切な仲間達。背後の来賓席にはアシュヴィンもいる。
 それなのに、彼だけが見当たらなくて、どうしたのだろうと思った。もしかしたら、人込みに紛れるのが嫌で、物陰から見てくれているのかも知れない。
 ついさっき、回廊で話した時の彼の笑顔が脳裏を過ぎった。初めて会った時の彼からは想像がつかないくらい、柔らかい、少しはにかんだような笑い方。律儀で生真面目な彼のことだから、約束を違えるとは千尋は思っていない。だって彼は云ってくれた、楽しそうに声を上げて笑って、この式典を楽しみにしている、と。
 だから、刹那に胸を通り過ぎていった不安なんて、単なる杞憂に過ぎない。千尋はふっと息を吐いた。

「それでは王、詔を」

 狭井君の声が途切れ、竹簡が差し出される。何度も何度も添削して書き直した詔。今日、この国は生まれ変わる。今までの中つ国とは違う、新しい国になる。その一歩がこの詔だと千尋は思う。皆の前で宣言する、新しい国の形。皆が共感して応援してくれたらいいな。竹簡を広げながら、願う。
 まだまだ未熟な自分には政は難しい。経験も無ければ、知識も無い。国という存在の大きさに、そこに生きる民の重さに押し潰されそうな日だってある。でも、一人じゃ出来ないことだって、皆が助けてくれれば出来る気がする。ううん、きっと出来る。それを千尋はこれまでの戦いの中で学んできたのだ。
 期待と不安が溢れて、胸が妙な高揚感に包まれた。竹簡の向こうには日々を生きる多くの民がいる。豊葦原の恵みに満ちた大地がある。苦楽を共にしてきた仲間達がいる。
 そして何よりも、――――――大切な人がいる。



 千尋は、詔を読み上げた。
 一字一句間違わないように細心の注意を払いながら、練習した通りに明朗とした声音で。拙い言葉で綴った自覚はある。けれど、ありのままの自分の言葉を皆が受け止めてくれたなら。それ以上のことは無いと思うから。千尋は歌うように、言葉を紡ぐ。
 誰もが穏やかに笑って平和に暮らせる国。戦で誰一人死ぬことの無い国。理不尽なことで大切な人を失わないで済む国。そんな国を作りたいと千尋は希う。
 それは何時か二人で描いた未来。大切な人がいて、その人が自分の隣で笑っていてくれる。そんな他愛ない幸せを育んでゆけるそんな国。

「忍人さん・・・・・・」

 唇が微かに名前を刻んだ。ざわりと強い風が吹いて、広場の隅に咲き誇る桜の花びらがはらりと散っては飛んでくる。目の前を横切る桜吹雪に千尋は一瞬、目を奪われた。薄紅色をしたそれが頬を撫でるのに、胸がざわめく。桜が散る様は哀しいのに余りにも綺麗で、心臓の辺りがきゅっと切なくなった。
 ふと、彼とした約束を思い出した。今日、この式が終わったら、二人で桜を見に行くのだ。それを思うと、ほっと心が温かくなる。陽だまりのような温もりで満ちていく。
 小さく息をついて、竹簡を持ち直す。ここで詰まってしまったら、きっと彼にまた後で叱られてしまうだろう。狭井君のお説教も食らうだろうに、それはさすがに勘弁願いたい。
 再び詔を述べていく。最後の一句を云い終えて、千尋は竹簡を畳んだ。しん、と空気が静まり返る。恐る恐る顔を上げた千尋に盛大な拍手が送られた。
 王となった自分を優しく受け止めてくれる人がいる。幼くて無知な自分に期待してくれる人がいる。自分の理想を応援してくれる人がいる。



 見渡した世界はとても綺麗だった。この美しい豊葦原を、私は守りたい。皆が、彼が守ろうとした、大切な人達がいるこの世界を。人々が生を育み、日々を営むこの世界を。
 そしてその為に、自分は今日、王となる。この新しい中つ国の女王に。










 EDの千尋の演説が被さるところで何時も必ず泣いてしまう私。幸せな未来を共にと願った人はもういないのに、二人で描いた未来を語る千尋が切なすぎる。どう考えてもあの演出は反則だと思うよ。