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「今日、君が妙に優しかったのは私が誕生日だったからですか?」

 情事の後のけだるい雰囲気の中、柊はフローリングの上に落ちた毛布を手繰り寄せながら、ふと思い出した疑問を投げかけた。
 気を失っている間に汗を拭われパジャマを着せられた忍人は熱の引いた身体を横たわらせて、ちらりと柊を見遣ると、素っ気ない返事をする。

「別に。特に何もしていないと思うが」
「夕食も何時もより豪華だったし」
「それは・・・・・・、疲れているみたいだったから・・・・・・。どうせまともな食事を摂ってないだろうと」

 夕食が豪華だったことも髪を乾かしてくれたことも情事の際に積極的だったことも。何時もの忍人には有り得ない。だが、さすがにそうとは云えず、柊は無難に夕食の話を持ち出した。嬉しそうに目を眇めて柊が云うのに忍人は少し口ごもって、目を逸らす。
 忍人の云うことは尤もで、柊は原稿を書いていると時間を忘れる性質で、食事を摂らないこともままあった。更に修羅場の最中は料理を作るだけの気力も体力も無いので、必然的にデリバリーサービスやコンビニ食に頼ることになる。事実、柊は今日、久しぶりに真っ白な炊きたての御飯を食べた。
 ダイニングテーブルに並べられた、ほかほかと湯気の立つ料理。しかもそれは恋人の手料理で、自分の好むメニューばかり。柊が歓喜したのは云うまでも無い。

「だから私の好きなものばっかり作ってくれたんですね」
「・・・・・・ああ」

 手料理ひとつでこんなに喜んで貰えるなんて忍人は思っていなかった。照れ臭くて、視線を外したまま、小さく頷く。
 その様を柊は微笑ましげに見つめ、ひとつ思い出したことを口にした。四年に一度しかないからなのか、柊は自分の誕生日を余り意識したことが無かった。幼い頃、誕生日を祝うという習慣が無かったことも影響しているのだろう。だからこそ、忍人が覚えていてくれたことが嬉しかった。
 イベント事にはまるで興味が無さそうな忍人が記憶していたことは些か予想外ではあったけれど。

「でもまさか忍人が私の誕生日を覚えているとは思いませんでした」
「昔よく、やってただろう。羽張彦が云い出しっぺで。誕生日パーティー。ふと思い出したんだ」
「懐かしいですね。お祭り好きの羽張彦のパーティーを開く云い訳に、いいように使われてた気もしますけど」

 小首を傾げて問う柊は忍人は微かに藍色の双眸を眇めて、思い出話をした。忍人の口から出る記憶の断片に柊もまた目を伏せて、懐かしさに浸る。
 まだ幼い忍人と、青い春を謳歌していた羽張彦、風早、柊の三人。お祭り好きの羽張彦は祝い事となると張り切って、大量の菓子とジュースを買ってきて、部屋を飾り付けては、ボードゲームにカードゲーム、テレビゲームまで、ゲームというゲームをやり尽くして、はしゃいでいた。三人は巻き込まれる形になることが多かったが、今思えば、とても楽しいイベントだった。

「でも楽しかった、だろう?」
「ええ、勿論。楽しかったですよ」

 羽張彦の無茶ぶりが瞼の裏に浮かんで、柊は苦笑いをした。忍人はそんな柊を見て、ふっと笑う。
 今でも四人で集まることはある。でも今はもうあんな風に騒いだり馬鹿をやったりは出来ない。やはりあれは若さ故の真っ直ぐさがあったから生み出せたのだろうと柊は思う。

「そうだ、明日は羽張彦と風早に連絡してみるか? 日曜日だからきっと二人とも休みだ」
「そうですね、それもいいですけど・・・・・・、せっかくですから久しぶりに二人っきりで出掛けませんか」

 良いことを閃いたとでも云いたげに忍人が声を弾ませるのに、柊は相槌を打って少し逡巡した。忍人の髪を掬い上げながら、少し躊躇いながら誘いを持ちかける。
 忍人は柊の提案に小首を傾げ、自分もまた柊の髪を摘んだ。傾いた陽の色をした髪が忍人の指先からさらりと零れ落ちる。

「何処へ?」
「それはまだ内緒です。忍人を連れて行きたいところがあるんですよ」

 忍人が素直に乗ってきてくれたことに柊は微笑んで、人差し指を立てて唇に押し当てた。原稿が早く終われば、とずっと夢想していた場所。そこへ忍人を連れて行きたかった。それにどうせ誕生日(実際には少し違うけれど)を過ごすなら、やっぱり恋人と二人で。今まで、試験や原稿で会えなかった分を取り戻すくらい、少しでも長く、一緒にいたかった。
 一瞬、柊の言葉に納得がいかないような顔をした忍人だが、柊はそういう秘密を絶対に教えてくれないと解っているので、諦めたように毛布を引き上げた。肩を覆うくらい毛布を被って、柊を急き立てる。柊はベッドサイドの携帯電話を開いて弄りながら答える。
 柊の寝汚さは筋金入りで、寝入るのも遅ければ、起きるのも遅い。反対に忍人は眠ろうと思ってベッドに入ればすっと眠れるし、朝も早いから、何時も柊には苛々させられているのだ。柊がそこまで無防備に熟睡出来るのは忍人の隣だけだということには、忍人はまだ気付いていない。

「なら、明日は寝坊出来ないな。早く寝るぞ。お前は低血圧だからきっとまた中々起きないんだろう」
「ちゃんと携帯のアラーム、設定しておきましたから大丈夫ですよ」
「まあいい。電気消してくれ」

 アラームなど音量を最大にしても実際のところ、叩き起こされるのは忍人のほうで柊にはまるで効果が無いことを忍人は知っている。けれどそれも、自分が柊を起こしてやればいいか、と考えている時点で、これに関しては忍人の完敗だった。投げ遣りに首を横に振って、目を閉じる。
 柊が起き上がって、電気を消す気配がした。そのまま、柊は忍人の身体を抱き寄せて、肌と肌を密着させた。暖かい感触がパジャマ越しに伝わる。

「・・・・・・おやすみ」
「おやすみなさい」

 もう既に睡眠体勢に入った重たい瞼を持ち上げてそう囁くと、柊は微かに目を見開いてふっと笑った。耳元に息が吹きかかって、その甘やかな声が注ぎ込まれる。鼓膜を震わせる音色に思わず柊のパジャマの袖を掴んで、忍人はついに耐え切れずに瞼を下ろした。くうくうと寝息を立てる忍人に寄り添って、柊もまた目を瞑る。
 よく、眠れそうだった。










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 忍人さんの隣でだけ、柊は安心して眠れたら良いなあ、という妄想。